七社神社
御由緒

渋沢栄一翁と紙幣に縁深き
一粒万倍の杜 七社神社

令和6年(2024年) 渋沢栄一翁が一万円札紙幣の肖像に

【写真 栄一七十歳(『渋沢栄一伝記史料』別 10-357)渋沢史料館所蔵】 【写真 栄一 七十歳 渋沢史料館所蔵】
※こちらの渋沢栄一翁の肖像写真を元に新一万円札のデザインが採用されるそうです。

多くの偉業を成し、“近代日本経済の父”と言われ、七社神社とも縁の深い渋沢栄一翁が令和6年(2024年)7月3日から一万円札紙幣の肖像となります。

また渋沢栄一翁は紙幣等を製造する国立印刷局の初代理事長になるなど縁があります。

このページではその渋沢栄一翁が一万円札の顔になることを記念して、渋沢栄一翁と国立印刷局、一粒万倍の杜「七社神社」の縁を紹介します。

七社神社のお隣、国立印刷局東京工場(旧滝野川工場)にて製造

七社神社の隣にある国立印刷局東京工場(旧滝野川工場)は、紙幣等を製造しています。この度渋沢栄一翁が一万円札の顔となり、そしてその一万円札が七社神社に隣接の国立印刷局東京工場にて製造されることは、とても感慨深いことであり、縁の深さを感じます。

  • ※国立印刷局東京工場 正門の様子 ※国立印刷局東京工場 正門の様子
  • ※国立印刷局HPより 新一万円札に関するページ 国立印刷局HPより 新一万円札に関するページ
国立印刷局東京工場の場所

七社神社の氏子であった渋沢栄一翁

七社神社の氏子であった渋沢栄一翁 ※七社神社永代記録(写真中央)に残る渋沢栄一翁の肖像写真(写真左)と氏子に名を連ねる渋沢栄一翁(写真右)

明治十二年渋沢栄一翁は西ヶ原村内に飛鳥山邸(別荘)を構え、明治三十四年には飛鳥山邸を本邸とし七社神社の氏子となりました。

【七社神社永代記録 全】
昭和七年五月五日発行
東京府北豊島郡瀧野川町大字西ヶ原千九拾七番地
西ヶ原総鎮守 村社 七社神社

明治三年九月二十一日内務省より七社神社が村社に列せられた際、拝殿等の改築に併せ、永代の記録として発行されたもので、明治以降の神社の様子が詳しく記されています。

書物の始めには、子爵 澁澤榮一閣下 揮毫 として七社神社の社名が記され、 栄一翁の写真も掲載されています。また、明治初年当時氏子各位の項には明治九年十月二十九日の氏子調として西ヶ原村上組に澁澤榮一と記されています。

七社神社永代記録は国立国会図書館で閲覧出来ます。

渋沢栄一翁と国立印刷局に縁深き一粒万倍の杜 七社神社で開運招福

渋沢栄一翁と国立印刷局に縁深き一粒万倍の杜 七社神社で開運招福

七社神社では御祭神の御神徳と由緒、緑豊かな境内と桜の名所でもあり、先の大戦の戦禍を免れたお社で開運招福の御神徳を得ております。
そしてこの度の渋沢栄一翁が一万円札の顔となるこの良き機会に、みなさまにも一粒万倍の御利益がわたるよう、開運招福の御祈願・御祈祷をいたします。

御祈願・御祈祷は鎮守の社 七社神社へ

【授与品】実物の「佅(もみ)」が封入された一粒万倍守

【授与品】実物の「佅(もみ)」を入れた一粒万倍守 一粒万倍守
初穂料 初穂料 700円

七社神社では実物の佅(もみ)を封入した御守『一粒万倍守』を頒布しております。同ページで紹介の縁から、御利益のある御守としてこれまで多くの参拝者に授与しております。

一粒万倍守:初穂料 700円
社務所にて頒布

【一粒万倍(いちりゅうまんばい)とは?】
「一粒の佅(種)が万倍にも増える」という謂れであり、吉日のひと つである「一粒万倍日」は多くの御利益があり、大変縁起のいい吉日とされております。

【授与品】一粒万倍を祈念した七福袋

【授与品】一粒万倍を祈念した七福袋

七社神社では福の集まる授与品として一粒万倍を祈念した『七福袋(しちふくぶくろ)』を奉製しております。宝くじやその他福を呼び込みたい大切なものなどを納め、御利益を受けて下さい。

七福袋:初穂料 2,000円
社務所にて頒布

【授与品】渋沢栄一翁ゆかりの御守

  • 仕事守 初穂料 700円 仕事守
    初穂料 700円
    (神社名は渋沢栄一翁揮毫の文字です)
  • 成功・発展守 初穂料 700円 成功・発展守
    初穂料 700円
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