七社神社
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渋沢栄一建立 枯松を祭る文の碑 解説

枯松を祭る文の碑(こしょうをまつるぶんのひ)

【解説】

 渋沢栄一が、「飛鳥山別業南園」にあった松が枯れたことを深く悲しみ、友人の漢学者・三島中洲に文章の作成を依頼、自ら揮毫して建てた碑です。建立は明治四十四年、その後同地を購入して移り住んだ増野家の所有となりました。昭和二十年の空襲で大きな傷を受けるも、地域の歴史を伝える遺産として大切に守られ、令和二年に寄贈を受けた七社神社が境内に移設しました。

 明治十二年、栄一は飛鳥山の一角に別荘を構え、同三十四年以降本邸とします。現在の本郷通りを隔てた側の庭には老松があり、栄一は、天に届くかのようにまっすぐ伸びたその姿を愛していました。しかし、工場の煙突からの煙によって松は枯れてしまいます。

のちに栄一は「愛樹を枯死せしめたるは遺憾至極なれど、其害を与へたる煙は、明治初年より渋沢が振興せしめたる商工業並に交通機関の発達の結果なれば、渋沢の庭園が此煙の為めに害を受け其愛樹を失ふも、自ら慰むる所なかるべからず」と語っています。
ちなみに、渋沢栄一はここ七社神社を地域の神社として、その鎮守神を崇敬していました。同社には今もなお、栄一揮毫の社額が掲げられています。

解説作成 渋沢史料館

©Hoshina Kawase


渋沢栄一翁と七社神社


碑文は漢文のため 読解を日本漢詩研究家の 石島 勇 先生に依頼し 作成していただきました 七社神社




令和3年6月5日 拓本.嘉津山 清 先生







上記本文をホームページ閲覧用に一部データ入力いたしました。(横書きとなっています)

枯松を祭る文 読解(横書き)


なお、石碑は神奈川県小田原市の根府川石で作製されています。

また、台座は茨城県笠間市の稲田石です。



蒔絵文台
『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』(青淵渋沢先生七十寿祝賀会 1911)より
写真提供:渋沢史料館

古稀祝で渋沢栄一翁に贈られた蒔絵文台にあしらわれた松は、栄一翁が愛していた老松であるとされています。

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